10.07.2009

経済格差と努力について個人的考察

努力と年収がある程度は正比例すると俺は考えます。
その場合、努力の内容と質と環境に関係がある。
数字に基づいた実績を確実に積み上げて他言無用の自他共に認められる実績を積む事が大切です。
この年齢なのでこれぐらいはほしいとかまたあるべきという自分の仕事内容や努力を放棄して自分の好きな仕事を選り好みして語る事は独りよがりです。
また、確実に結果を出すために強烈な緊張感の中で職務を遂行し現実を厳しく見立て複数の策略を同時平行しながら確実に実行する強さと継続維持が大切です。
その中から得られる自信や実績は自分の財産であります。
後に金はついてくるものです。
色んな人と話して仕事に対する姿勢と取り組みの実績を考えるとき努力と年収は公平な関係性があると思います。
勿論、世の中にはそうでない業種や職業もあるでしょう。
早晩、そんな職業や人物は自滅するでしょう。
出来ない理由を述べる饒舌な屁理屈人より出来る理由や作戦を常に考える自分でいたいと思います。
シビアな仕事のシャワーは身も心も綺麗にしてくれます。
ある意味においてはちょっと不況ぐらいが今のボケた日本にはちょうどいいかも知れません。
ボケた20代の奴に腑抜けた30代の男にも。
無重力な民主主義でなく、責任に立脚した重力の働く民主主義の中での努力を仕事で証明し続ける所存です。

補足

金や年収が目盛りにならない尊い職業があることをここに追記しておきます。
俺が営業の世界で力づくや根性、負けん気の気性で生きているので
聖職に付かれている方の尊厳のある方は会話をしても直に分かります。
そんな方は年齢、性別、国籍を問わず尊敬します。
また、聖職でなくとも本気で打ち込んでいる人はオーラやパワーがあります。
ぬるま湯の議論や屁理屈より苦くとも真実の方が退屈じゃないという事です。

俺の文章は言い訳の多い同性の男に向けた内容が主です。
平和と繁栄の中でストーリーの主人公となる男が自ら設定しにくい環境下にあるのが今の日本で無いでしょうか?
努力したり打ち込んだり、何かに燃えたりする情熱的なギラギラ感が大切な一方で少子高齢化の澱んだ空気の日本では経済的繁栄のスロープを下りながら、冷笑的な白け感が充満しています。
白けの理由には時代性もあるでしょう、不況下もあるでしょう。
だけど、時代の多数が占める論調やマスコミがかもし出す空気感が大間違いをしていることは歴史上何度もあります。
なんとも形容しがたい日本の現状。
言葉を継ぎ足せば足すほど日本の空漠感を表現する事に違和感を覚え、しかし、適当に当たる表現が見つからずにいます。
けれども、この国に充満する偽善的な母性や父性の喪失、表層的な物質的反映の中での広大な絶望感、パンとサーカスに安住しろといわんばかりの民放TV局発信の東京デカダンス・・・・
苦笑しながらも自分の頭で、言葉で解釈表現してやろうと言う闘志が湧いてきます。

一方現状では、身近に働いている部下やなどの精神やモチべーションの希薄さは山頂の酸欠状態に近い感覚があります。
本当はその山頂から見える眺望を皆で談笑しながら愉しむのが良いはずなのに・・・
希望喪失社会というのが、努力不足や格差問題の主根として在るのだと推測しています。
この生活、日本からの生きる哲学喪失社会かも知れません。
景気循環論、文明転換論とは関係なく生きる希望哲学を日本人に自然とフィットする型で考え抜くことが急務かも知れません。