怒りを忘れた国:日本
昔、親父が俺に言ったセリフ。
「怒る事の出来ない男は自信の無い証拠である」
俺はいつも不機嫌で暗い親父が死ぬほど嫌いな存在だった。
しかし、今思うと軟弱な俺を見て怒っていたんだと思う。
そして、その怒りは親父の強烈なエネルギーの証しでもあった。
子供の頃、6歳か7歳ぐらいだが大阪の淀川のほとりで思ったことがある。
この川は大人は大きいというが俺は小さいと思う。そして、こんな川が大きい言う大人たちに何とも言えない虚無感というか、男性的な得-がん強さを感じない。
こんなことも感じた。
アメリカ大統領のレ-ガンをTVで見てだ。そのシ-ンはレ-ガンがアメリカ人の大衆に拍手を浴びて大きく手を振る場面。
なんて明るく堂々としていて楽しそうなんだと。
1945年に戦争に敗れ、ひたすらアメリカ追従で日本は経済軸のみの価値観で生きてきた。
経済は強い日本の実現。
しかしながら、それ以外に語るべき言葉や力や怒りを持たない人間の集団になった。
これは代償としてはでかすぎる。
物質的繁栄を謳歌している日本にダイナミズムも激情もなく、今は少子高齢化、デフレ、20年不況の中で無政府状態より無感情国家になった。
確実に長い時間の中で思考能力や感情をすり減らし虚無的になった。
これは視野の狭さ、情報の無さが強大な引きこもりを実現させたということだ。
こんな分析は俺以外にも大量に日本論として存在するし面白味もない。
ここにきて真逆に考えてみた。
日本はそんなに不幸な国なのか?
ホントは霧に包まれていると考えるのは間違いで最高のクイズ番組の放送中の中に生きているのではないかと。
親父が生きてきた時代と俺が生きてゆくこれからの時代は違う。
全てを楽しむ能力を習得し毎日、意地になって嗤いころげてやろう。
それが、俺の怒り方の一つである。