11.09.2011

日本人としての精神性

日本人としての精神性は何かを考える時、幾つもの考えが宿ります。永い日本の歴史上に培われた文化や自然環境に育れた精神性です。

例えば、代表的日本人としてよく考えられる所で新渡戸稲造の「武士道」、宮本武蔵の「五輪書」聖徳太子や西郷隆盛、徳川家康や織田信長の生き方考え方などです。ルーズ べネディクトの「菊と刀」やイザヤ ペンダサン「ユダヤ人と日本人」など参考になります。
恥の文化、和の精神、アミニズム、自然信仰、等日本人の精神性を表現するものであり、ある意味正しいと思います。

しかし、自分としては意味的に弱さが含まれていて好きではありません。
ポジティブさに欠けていて、部分的には表現しえていますが物足りなさを感じ得ます。
勿論、無理に強い意味を付加する気もありません。

欧米における自由、平等、博愛などの思想や哲学は日本に無いのかと考えてみます。
日本においては礼節、自然に対する美意識、わびさびの感性、桜に見る死生観、協調的な精神、創意工夫する精神、自己犠牲の精神、以心伝心などが精神的水脈として日本民族にあります。水のようなしなやかさ、滅びに対するはかなさ、諸行無常における悲哀の感性もあります。
ネガティブさにたいしての精神の強さや耐性が誇りとして日本人にはあります。

日本人の無意識に深く流れる真の強さは最終的に粋な感性にあると思います。
永く日本人、品の文化と貧の文化に親しんできました。
貧しくとも心で感じカッコ悪さを否定してきました。その先にある粋な感覚や感性がありえたと思います。
切腹や腹切り、自己犠牲や神風も日本人の人間としての真の強さを追求する姿勢として評価します。
こんなことを書くと激しく日教組や反日団体の材料として批判が来るのは承知の上です。
しかしながら、その根底にある日本人としての深く激しい悲しみの歴史の先にある精神性は表面的な批判に耐えうる誇り高き強さがあると考えます。

共感能力の高い日本人は自ら深く思考して未来的な新しい平和な価値観を創造できます。
その証拠として、根底として日本人の精神性をのシンボリックな言葉が必要と思います。

日本人が日本人としての枠に限定せず大きく広い意味でのゴールとして、そして世界に誇りうる精神性としての軸を見つめなおす時期にあります。

日本は世界やアメリカとの戦争、敗戦後66年物質的繁栄を追求しそして実現し謳歌しました。
衣食足り飽食の時代を謳歌する半面、自国の防衛をアメリカ依存することで現実に対してのシビアさを忘却しながらも生きてきました。

そのつけが反日の民主党、マスコミ、反日団体の工作活動の激化としてあります。
検閲、捏造、洗脳が完成された現状が日本にあります。

体裁や金より誇りや精神性を取り返す時期に日本はあります。
そして、我が祖国日本は何なのか?
この日本の国体は精神性は何なのか?
などを強く考えずには居られません。

精神的な高潔性、美意識、美学、死生観などから考えて日本人としてのカッコよさにあるものは
歴史の中であらゆる耐性に裏打ちされた誇り、粋さ、優しさ、しなやかさ、であり知性の低い私としては一言で総括した言葉を未だに見つけられません。

此処に書く稚拙な駄文が精一杯の情熱です。
最後に日本の表現する言葉として無理にでも一言で言うなれば「誠」という言葉を上げてみたいと思います。

誠意ある真面目な日本人を表現する言葉として、上記の煩雑な思考をまとめるものでないとないと十重承知でありますが・・・

個人的にどうしても日本の生まれ育ち、感謝し考え、先の敗戦や英霊を想う時、この先の自分の人生を賭けても考え抜き的確な日本人の精神支柱となる意味を考えたい欲求に駆られています。

凡庸なる日本人として・・・