5.26.2010

soul red

5.19.2010

Enjoy myself.

希望的な理由、楽しい理由、最高な理由を探したい。
理由が必要と言うことは意味やきっかけが必要と言うことだ。
小さな成功体験を積むことなのか?大きな達成感なのか?
束の間の気分転換なのか?
大義の為に生きることが必要なのか?
自分を説得する、納得する理由が必要だ。
それすらも考え抜くことが必要だ。
大きく明るく考え抜く。
理由はそんなところにある。そして、理由を作り上げることが必要である。
タバコの火が消えるまでに。

5.13.2010

思考力を疑う

我が国の総理大臣、鳩山由起夫は何がしたいのだろう。
4月のワシントンポストの記事を思い出す。
以下AL Kamen氏の記事引用
By far the biggest loser of the extravaganaza was the hapless and increasingly loopy japanese prime minister yukio hatoyama.

狂想曲の最大の敗北者は悲運であった。狂った日本の総理大臣、鳩山由起夫である。

俺はこれを読んだ時、憤りを感じた。
今でも感じる。
鳩山由起夫に対してである。
今でも5月の基地移設問題断念の文字が新聞を踊る。
きつい税金を払っている国民として世界に恥をかかされ、とぼけた空ろな面を見ているとムカつく。
舐めとんのかと。
彼は何を考え何がしたいのだろうか?
そして実質権力者の小沢一郎は3度目の起訴の中で我が不詳の記事に包まれている。
奴らは政権運営能力が本当にあるのか?
日本をどの方向に舵きりしたいのか?
思考能力が疑わしい。
今まで日本の政治家達には失望を覚えてきた。
これを扱うマスメディアにも苛立ちを同様に覚えてきた。
反対や対立を恐れて物事を決められない人間は政治家になるべきでない。
また、私利私欲に溺れ亡国の暴案ばかりを思いつく政治家も辞任すべきだ。
深い絶望の濃霧が日本を更に混迷に誘い込む。

未来社会を描く

資本主義、管理主義、市場原理、競争社会を標榜する日本社会において日本の歴史や文化思想が混在した中で現代社会が体現されている。
柔軟な思考と言えば聞こえが良いが常に受容すること、外圧や情報を取捨選択してきた過去が日本にある。
この歴史観の中で2000年の中でも特に120年の近代社会は欧米列強に特に左右されてきた。
物質的繁栄を成就させ現在は少子高齢化の中で活力も無く大局観から誘導される国是もない。
日本人が大人しく弱い人種的傾向があるとは考えない。
マスメディアが支配層と作り上げた虚像である。
では強い人種かというと思考能力を鍛えない今の教育やその後の社会構造が現状追認を強く肯定している中では現状は希望が少ない。
視野狭窄的な変更報道や独自の意見や主張を待たないことをリスク回避として中立報道に撤していると考える幼稚なメディアは害悪でしかない。
寧ろ洗脳道具に成り下がり第四の権力としての説明責任能力を放棄している。
この低脳レベルのメディアしか持ち得ない日本人は不幸であるばかりか自己崩壊促進の亡国直線コ-スを辿るしかない。
考えるヒントとして視野の広い情報は重要である。
言うなれば世界中の情報、最先端の知識、深く広く収集した中での現実と哲学をフィルターとして賢明な判断をするモデルケースが欲しい。
縦軸と横軸の大きな尺度と時空間を大きな視点から考え抜かれた未来予想図に希望があるという状態が先進国において重要なスタンスであると想う。
学ぶ、考える、知る、想う、語る、動く、そして前進する。
視界不良の現代は閉塞ではなく見えない読めない時代を楽しむ知的興奮が日本の血液として必要だ。
大局観から足元の現実へそしてまた大局へ向かう動き。
日々の生活と未来への進歩前進。
科学や哲学の知識、進歩から切り口として理想を構築し物質的繁栄を成熟と呼ぶのではなく無限の進歩開拓を今の発想に囚われることなく追求する。
後進国や新興国の発展は旧態依然たる成長モデルの追随でしかない。
先進国の定義を明確にした時、そこで進歩前進が停滞するのであれば経済尺度だけでなく、新しいメジャーを作り上げることを考えることが必要である。
解らない事は可能性に満ちている。
新しい知識やイデオロギーなので仕方が無い。
しかし、工業社会、知識社会の先の社会モデルを構築して進むことを考えたとき、これからの社会は特に面白みを増す。
未来社会は今が最適解でないことを告げているかもしれない。

5.11.2010

国家を語るとき想うこと。

普通の愛国が難しい国。
自尊心を持つことと同様に自国尊心を持つことは本来自然な感情である。
しかし、愛国は幼稚で偏屈であることから始まるとき自虐と自己破壊が冷静の絶対尺度という文脈で語られる。
日本列島は自殺志願の精神病棟で集団入院しているかのようである。
愛国のカジュアルなかっこよさの表現は国際化の中で必要なセンスである。
この精神病棟は無自覚、無意識、無思考、無党派の混在の中で巧みに活力を奪う。
牙を抜かれた野生動物が生命力を失い死に場所を求めて森を彷徨うように。

考え抜いたとき愛国から始まる。
その為に批判をする、改善を重ねる、行動をする。
大いに大切である。
逆に、右翼化はどこの国でも極端な民族主義に陥る。
勿論、これはバランスが欠けている。
前提として全体に左傾化があるとしてもだ。
右左の横軸でなく中心の軸を日本において強く軸を貫いた時、右も左も軸が脆弱でなければ幼稚な語りでしかない。
普通の愛国が難しいのは日本人が軸をなくした日本人の無意識の絶望が漂流しているからだろう。
今、日本の大地を踏みしめて生活している日本は普通の愛国を持つために誇りとある意味での頑固さを持つべきではないだろうか。
最新情報に振り回されず、負けを認めず、好戦的な馬鹿でいるためにも愛国は質、量共に語られるべきだろう。
マスメディアから抜け落ちた文脈を見抜く為にも全てを疑い考え抜く知的体力は愛国から始まるはずだと思う。

Black in the rainy street.

生まれた瞬間を知らない。死ぬ瞬間は知ることが出来るかもしれない。
365日の中に誕生日があるように命日もどこかにある。
死ぬことを意識した時、生きることを裏返しとして意識せざる得ない。
死とは無言の静寂である。ならば生きるとは雄弁たる躍動かもしれない。
活動し表現し追求する魂の昇華。意味を彩り価値を創造こと。
演じること。語ること。思考すること。歩き出すこと。見つけ出すこと。遊ぶこと。笑うこと。人間が考え、動き、進むこと全てが生きること。
見つかるまで探し続け求め続ける。
人の数だけ人生劇場があり物語がある。
しかし、俺から見るとソリッドな退屈とヴィヴィドな有意味の織り成すギリギリのジョーク集に思える。

悲劇が喜劇で喜劇が悲劇な激情と冷静を含んだ静かな雨音の様だ。
止むことの無い物静かな明暗で地上を濡らす水滴。
だんまりの濁りが路上の大きな穴のように語り掛ける水溜りであるかのように。
目的を果たしてびしょ濡れで畳まれた傘の語り。
やがて雲の切れ間から陽光が射し街を照らしビルの谷間に影を残す。

強い光がアスファルトを黒く包むような街の狂気の中で使い古されたメタファーが呼吸を苦しくさせる。
鮮血のぬくもりが立ち込めるコンクリートの痛みをよそ目に先を急げ。

5.09.2010

無国という病

普天間基地移設問題に絡む鳩山由起夫の行動と発言は曖昧極まりない。
しかし、日本人は国防をどう考えるのか?
小学生レベルのマスメディアを抱える日本は思考停止期間を戦後約60年過ごした。
今更、国防に基地移設に問題が絡み合う。
もはや鳩山のみの問題でない。
基地は沖縄に頼むのならそれなりの保障と誠意がないと落としどころが無いだろう。
国家観の無い日本人全体のツケは外貨ではカバー出来ない。
考えのない、国防を自前でアメリカ軍の借用でも蔑ろにしいては現実において亡国である。

5.05.2010

それでも人生にイエスと言う

V.E.フランクル作
人生に生きる意味を問うのは誤りである。
人生こそが問いを私たちに問いを提起している。
人生が出す問いは具体的である。
ここの本にある文章や言葉は真摯であり、重心である。


人生に問われているそしてそれは各個人によって相違する。
そして代理不可能である。
自分自身の人生を歩む。
その為に考え抜く。

5.04.2010

National Goal.

国家的目標が無い、国民コンセンサスの憲法や理念が無い。
議会制民主主義を運営している気概や責任が国民、政治家共に無い。
漠然とした視界不良の未来に過去のロジックで前進している型遅れの機関車の様である。
思考停止社会の主因はもはや日米安保、戦後教育、社会体制の問題に出来ない。
日本人の脳と心の問題であり責任と規律の問題である。
その根幹を前提とした自由の在り方が結論付け無しに過去の遺産で消化試合している。
TVと新聞には真実を報道する義務がある。
番組、紙面作りが今のレベルでは知る権利を蹂躙し馬鹿洗脳のツールでしかない。
いろんな理由が複雑に絡み今の日本の現状があるが世界を驚愕させる高みに上る日本人や国家つくりを目指しGOALを定めないと面白みに欠けロスも多く地盤沈下が激しい。
保守化した老人の匂いが漂う日本はぶち壊し、年齢も関係なく、進取の精神に満ちた文化、情報、教養、研究、教育に重心をおくべきである。

サブプライム 

落合信彦氏のサブプライムを読んで思うことは人間軸があるということろである。
独特のウィットの効いた言い回し、世界を舞台にしたダイナミズム、国際情勢を随所に散りばめた場面
展開、そして人生をポジティプ生きる姿勢を持つ主人公の葛藤と挫折。
リアルタイムで現実の国際情勢と絡み合いながら進行してゆく展開には情報空間を超えて躍動を感じる。
英語でのスラングや表現もアメリカ、ニューヨークを舞台にした臨場感があり魅力的である。

1Q84 BOOK3

今回の1Q84では大筋としては青豆と天吾が出会えハッピーエンドで納得である。
ただし、BOOK2では最終で青豆が高速道路で頭をぶちぬいて死んだはずなのに何の説明も無く物語が継続してゆく。重要なポイントだ。
前回では特に納得いかない内容だったが情景描写の比喩的技巧やイマネジネーションを刺激する言葉の選び方や話のモデレイトなリズムには大いに感心する。
文学的表現力における筆力の圧倒性は村上春樹氏は絶大である。
時間軸、空間軸の歪みを心地よく誘う、無意識に働きかける文章である。
メタファーとしての沈黙、時間の経過を立体的に色彩感覚豊かに表現する。
文章をなぞること快感を覚える作家は少ない。
情報より感性である。