5.11.2010

国家を語るとき想うこと。

普通の愛国が難しい国。
自尊心を持つことと同様に自国尊心を持つことは本来自然な感情である。
しかし、愛国は幼稚で偏屈であることから始まるとき自虐と自己破壊が冷静の絶対尺度という文脈で語られる。
日本列島は自殺志願の精神病棟で集団入院しているかのようである。
愛国のカジュアルなかっこよさの表現は国際化の中で必要なセンスである。
この精神病棟は無自覚、無意識、無思考、無党派の混在の中で巧みに活力を奪う。
牙を抜かれた野生動物が生命力を失い死に場所を求めて森を彷徨うように。

考え抜いたとき愛国から始まる。
その為に批判をする、改善を重ねる、行動をする。
大いに大切である。
逆に、右翼化はどこの国でも極端な民族主義に陥る。
勿論、これはバランスが欠けている。
前提として全体に左傾化があるとしてもだ。
右左の横軸でなく中心の軸を日本において強く軸を貫いた時、右も左も軸が脆弱でなければ幼稚な語りでしかない。
普通の愛国が難しいのは日本人が軸をなくした日本人の無意識の絶望が漂流しているからだろう。
今、日本の大地を踏みしめて生活している日本は普通の愛国を持つために誇りとある意味での頑固さを持つべきではないだろうか。
最新情報に振り回されず、負けを認めず、好戦的な馬鹿でいるためにも愛国は質、量共に語られるべきだろう。
マスメディアから抜け落ちた文脈を見抜く為にも全てを疑い考え抜く知的体力は愛国から始まるはずだと思う。