5.13.2010

未来社会を描く

資本主義、管理主義、市場原理、競争社会を標榜する日本社会において日本の歴史や文化思想が混在した中で現代社会が体現されている。
柔軟な思考と言えば聞こえが良いが常に受容すること、外圧や情報を取捨選択してきた過去が日本にある。
この歴史観の中で2000年の中でも特に120年の近代社会は欧米列強に特に左右されてきた。
物質的繁栄を成就させ現在は少子高齢化の中で活力も無く大局観から誘導される国是もない。
日本人が大人しく弱い人種的傾向があるとは考えない。
マスメディアが支配層と作り上げた虚像である。
では強い人種かというと思考能力を鍛えない今の教育やその後の社会構造が現状追認を強く肯定している中では現状は希望が少ない。
視野狭窄的な変更報道や独自の意見や主張を待たないことをリスク回避として中立報道に撤していると考える幼稚なメディアは害悪でしかない。
寧ろ洗脳道具に成り下がり第四の権力としての説明責任能力を放棄している。
この低脳レベルのメディアしか持ち得ない日本人は不幸であるばかりか自己崩壊促進の亡国直線コ-スを辿るしかない。
考えるヒントとして視野の広い情報は重要である。
言うなれば世界中の情報、最先端の知識、深く広く収集した中での現実と哲学をフィルターとして賢明な判断をするモデルケースが欲しい。
縦軸と横軸の大きな尺度と時空間を大きな視点から考え抜かれた未来予想図に希望があるという状態が先進国において重要なスタンスであると想う。
学ぶ、考える、知る、想う、語る、動く、そして前進する。
視界不良の現代は閉塞ではなく見えない読めない時代を楽しむ知的興奮が日本の血液として必要だ。
大局観から足元の現実へそしてまた大局へ向かう動き。
日々の生活と未来への進歩前進。
科学や哲学の知識、進歩から切り口として理想を構築し物質的繁栄を成熟と呼ぶのではなく無限の進歩開拓を今の発想に囚われることなく追求する。
後進国や新興国の発展は旧態依然たる成長モデルの追随でしかない。
先進国の定義を明確にした時、そこで進歩前進が停滞するのであれば経済尺度だけでなく、新しいメジャーを作り上げることを考えることが必要である。
解らない事は可能性に満ちている。
新しい知識やイデオロギーなので仕方が無い。
しかし、工業社会、知識社会の先の社会モデルを構築して進むことを考えたとき、これからの社会は特に面白みを増す。
未来社会は今が最適解でないことを告げているかもしれない。