10.28.2009

Take a picture

カメラで写真を撮るということは、場面やシーンのなかで自分的に何かを感じた瞬間に撮影する事が大切である。
それは大抵の場合、ゆっくりと歩いている速度の時に訪れる。
車で走っている時もあるが、少ない。
何かを思考しながら歩くその速度が適している。
ゆとりが必用になってくる。
最近はシャッターチャンスが無い。

trip into the world of inerself

二ーチェの思想に永劫回帰という考えがある。
自分が臨終の時に、見知らぬ者が現れて問い掛ける。
自分の人生に悔いは無いか?
何度も人生を同じ様に今回の人生を歩む事に納得できるか?
もし人生に悔いが無いのであれば何度でも今回の人生を歩めるはずだと・・・

この問いかけは重要な命題でありわが人生に悔いなしと言い切れる人生を心底、歩みたいものだ。
束縛のある物に対して反抗を憶える。
また真の自由が到来した瞬間はエーリッヒ・フロムではないが自由からの逃走を企てたくなるのが人間の心理である。
要は無いものねだりの人生である。
人生で何が欲しいのか何を求めるのかを自分で問い掛ける。その前提として自分のことを深く知ることが大切だ。
自分を知らずして、始まらない。
この、自己研究に時間を使い、そして自分のしたいことを追求することが人生なのか?
人生自体に意味が無く、その人生に意味を問われ続けるのであれば、意味付けをしてゆく立場である人間は一体どこから来て、どこへ向う存在なのだろう?

人生は筋書きの無いドラマである。
神様は人間ドラマがさぞかしお好きなのだろうか?
神の存在すらまだ確認できないが・・・

ならば、自分が大好きなハードボイルドで行きたいと思うが・・・
喜怒哀楽のなかでドラマが進行すると考えて、自分で脚本、照明、美術、、監督、主演男優をしてゆくしかない!
物語の重要性を最近、特に感じる。
そういえば、どこの国も成り立ちとしては神話や口承伝記があったりするものだ。
小説や映画が廃れることなく、時代の波の中で何度も話題になるのはそもそも人間はドラマを好きになり理解し易い思考回路がある。
では、本当に良いストーリーやドラマって一体どんなものだろうか?
主人公の感情や悩み、葛藤が内在している中で前進してゆく物語であり、最後はハッピーエンドでエンドロールが流れるものが個人的には良い。
平坦で感情の起伏が無いものや場面展開が退屈なものもご免だ。
全体的に暗いのもくだらない要素に入る。
音楽のファッションの全体を彩る要素として大切だ。
主人公のセリフも格好良くないといけない。
映画は2時間、小説は300ページぐらいで終わるが人生はたいていしぶとく生きている限りそうはいかない。
自分のブランドや配役を決め己を演じ切る為にも、修練が必要だ。
そして、一本の映画や物語としてどんな人物でいたいかが大切である。
単調な喜悲劇はご免だ。
良い物語は生活が楽しいって事にも繋がるだろう。
毎日の退屈さを切り裂き、倦怠や退廃に陥りがちな、あるいは自暴自棄になりがちな自分を応援する為にもエッジを効かした物語を作成したい。

10.26.2009

メディア論 第四の権力の機能不全

日本のメディアにおける適当な振る舞いと無能さに唾棄したくなる思いであり、最近の例で普天間基地に繋がる日米同盟論として上げました。

メディア問題も重要ですが、この日米安保は日本の国家戦略上最重要課題に当たります。
今後もアメリカとは良好な関係を維持してゆくことが日本の長期的国益になるところは国民のコンセンサスでありましょう。
寧ろ、日本の国内での成熟した議論の決着として国際社会でどう生きてゆくかという国家目標と国家哲学、そして壮大な歴史観に基ずくパースペクティブが日本人自身の中から最適解として生まれることが大切です。
その議論や思考プロセスの中ではあらゆる選択肢を想定、仮定して考えなければなりません。
単にアメリカに意味無く反抗することは反米こそアイデンティティというフランスや反日こそ主義であるという韓国になりえます。
また、自分としては核武装賛成論者ですが、現実的には日本の政治家で核のボタンを預けうる政治家、官僚はいません。
不安で眠れなくなります。なぜなら、頼りないからです。
左翼が自壊して、揺れ動きの中で右翼化が進行してきた最近の日本の世論があります。
一般的に先進国で高齢化が進むと相対的に右傾化が進むと数日前の日経の夕刊でフランスの学者が述べていました。
そういう論調よりも極度に自虐史観を持ち、自信喪失の市場原理の中で耐性を持ち続ける日本社会には、分厚い雨雲が立ち込め酸素の薄い空気を吸わされている様でたまりません。
国家間の交渉は脅し、ハッタリも含めた言葉の代理戦争です。
北朝鮮の方が交渉上手といつかのニューズウィークで特集がありましたが、危機感を持ち真剣に外交努力を重ねた中での決着は日本に欠けるところです。
因みに、北朝鮮はアメリカと完全に電話友達なので、日本を威嚇しろというタイミングでミサイルを打ったり、アメリカの保守の論調をまとめる時にミサイルを使用する国なので、例えとしては適切ではありませんが・・・

兎に角、敗戦後60年の歳月において思考放棄で日本は生きながらえてきました。
その間も世界では戦争、地域紛争、テロリズム、軍事威嚇、などキナ臭い力のロジックで世界は回り続けてきました。
今までが良かったので、これからも日米同盟の元でEVERYTHING-OKと言うわけには行かないでしょう。
少なくとも、日本人は、自身で考え抜くという姿勢が必要です。
逆に、アメリカの国益にそぐわないのであれば、アメリカ側から日米同盟破棄と申し付けてくるかもしれません。
それがオバマ来日時であれば日本は慌てふためくのか?
滑稽でダサいと思います。
如何なる状況も想定していれば覚悟が備わります。
真理、真実、事実、未来予測をする為にもまともなインテリジェンスがほしいのです。
それには、日本の国民が有するメディアはあまりに幼稚で矮小であります。
落合先生の著書を拝読し国際情勢の分析理解のトリガーとして手当たりしだい本を読み、考えてきました。
他のジャーナリスト、文化人、知識人でも光る人がいます。
そんな方々が発言しても日本のメディアはメインストリームとして黙殺と忘却を決め込みます。
個人で責任を負い発言している人は組織や集団には馴染まないということかも知れませんが、それでも日本のメディアの知的後退性は無視できないところまで来ています。
読売、朝日、毎日、産経、日経、TBS、ABC,NHK,フジ・・・
彼らに本気で天下国家を案じて、世論をリードする気概や記事内容を感じません。
見ざる、言わざる、聞かざるのメディア従事者は国民を愚弄するのもいい加減にしろボケといった感です。
良識や精神を持たない専門家は有害極まりない。
広告収入が減じて倒産の憂き目にあるメディはこの際潰れるべきだ。
どうせ、スクープ追いかけて切磋琢磨することなく同一記事に終始して今後もクソ紙にもならない印刷物を宅配し、公共の電波で放送権を盾に狂気の沙汰に明け狂うのだから・・・

10.25.2009

愛国独言

自分としましては今すぐ日米安保を解約して、自国の武力で専守防衛可能とは考えていません。
但し、人間関係でも、国家間でもいつでも喧嘩したろうかという覇気や意思を持っているぐらいの自信が精神衛上、健全であると考えます。
奴隷の如く働き、意見を言わず下を向きびびるのが、日本のこれからのあるべき姿であるとは考えません。
また、G2や新興国、BRICsの台頭を考えた時、これからのパラダイムは今までのパラダイムの延長線上に無いことは確かです。

慎重に現実的に進歩的に考えて意見交換をアメリカとしてゆく事が望ましいです。
それは、今すぐアメリカと決別することではない。
また、属国として形振り構わず言いなりになる事でもない。
沖縄の意見や極東アジアの周辺有事を睨みながらも自国の武力を強化して、憲法9条を破棄し建前の議論を止めることから始まります。

敗戦後60年はラッキーな平和の時代であり日本人は脳髄まで生きる根本的な緊張感を忘却した中でのマスメディアの馬鹿論調で騒いできました。
今や軍事大国、中国、ロシアを初め、北朝鮮の核ミサイル、台中関係、北方領土、竹島、など火種はアメリカ一国の依存では困難でありアメリカの国益に反する物が多数あります。
1902年に日英同盟を結んだ時の日本は極東の貧国であったが世界を支配する英国に対等に口利きをしていた。
今、現在は経済力の凋落があるとは言えども、経済では決して小国ではない。
情報収集をして、知恵をだす事で好転する事があるはずである。
政治的臆病で居る事で年間、何万ドルの損失をおこしているだろうか?
民主主義のバランス感覚では意見の無いものは馬鹿にされる。
反対意見のすり合わせの中で有益な関係と意見の成就が成り立つ。
劣等感を日本国民に植えつけるやり口はアメリカ圧力と臆病な日本のメディアの二重規制の賜物である。
自虐史観や情報鎖国のメディアは日本国民の真実を知る権利を蹂躙し目を奪い、耳を塞ぐ行為に等しい。
アメリカは日本政府支配し、日本政府は民間人、民間企業を支配し、一般日本国民はその息苦しさの中で開かれた情報を知ることなく、自主規制や検閲された記事、ニュースの中で長時間労働に勤しみ疲れの中で諦観に似せた縮み思考に陥落する。
俺はそんな自信の無い日本に心底憤りを覚える。
普通の国であるには、タブーを消してあらゆる選択肢の中で議論をすべきである。

勿論、軍国主義を目指すのでは無い。
しかしながら、人類の意識レベルは未だ低く綺麗ごとでは生きてゆけない。
基地問題も日米安保も核武装も議論してはいけないというのは本当に日本は北朝鮮以上に民主化の可能性の無いマスメディアのマスゲームに踊る不気味な集団に成り下がる。
色々考えた挙句に日本の諸悪の元凶はメディアが主因であると考えているのは以上の理由に寄る。
喜怒哀楽の無い無機質なひれ伏すだけの日本はアメリカの学者が言うように巨大な無脊椎動物だ。

昨日の寺島実朗氏のコメントは実に控えめな意見であり誇大妄想的な主張を述べていた訳でない。
そこに意味や心を感じる。
国際情勢の巨大な人間関係だ。
強いものには従うこともあるが、土下座しすぎるのは自律神経失調する恐れがある。
そんな大人を見て、日本の子供たちは肌で感じ取り自暴自棄になり更に弱いものを叩く。
要は屈折してゆく訳だ。
極端に愛国の針が振れておかしくなる前に冷厳に英断を下す政治家と国民世論を望みたい。

10.24.2009

Under the opinion

いつも、ビールを呑みながら一気に思いつくまま書き殴るスタイルなので自分でも感情的過ぎで、文章の意味も可笑しいところが一杯あると思っています。
スピードやリズムで頭によぎる事を書くのでこれから少しずつでも文章の勉強をしようと思います。
それと同時に臆することなく思ったことを発言する己でいたいと思うところでもあります。

自分の感性や感情の表現はまともでいる為にもこの国での暮らしでは大切であると思います。
窒息、閉塞状態で空気過敏の世論操作に言葉に表現しにくい管理社会の元凶の見る思いであります。
仕事をして給与を得るだけでは経済人であり、その上を行く社会人とは社会的意見を固持してこそであると思います。
民主主義の根幹たる自由と責任の振り子の軸としての自分の意見を堂々と述べる訓練を戦後教育で私たちは受けてこなかった。
寧ろ、和をもって尊しとする価値観の中で滅私を強要するトラップに嵌められている気がしてなりません。
世界の主流たる英語圏の情報が過少に歪んで偏向報道されるされる様はワシントンポストが日本が厄介な国であるという一文を絶対アメリカ主張のように報道する今回の普天間基地の件にも垣間見えます。

本日の報道ステーションで寺島実朗氏がコメントしていました。
一年掛けてでもこの基地問題を考えて今後の日米安保をどうして行くか考えるべきであると。
冷戦時に作られた同盟関係であり、主権国家として悪戯に反米で独立志向という訳でなく、時間を掛けてでも今後どうして国家運営をしてゆくかが大切であるとも。
誠意あるまともな意見である。
焦らず、びびらず、怯まず。
そんな意見は、世界の実情をキッチリと観察している有識者からしか出ない発言である。
新聞の社説はそうはなら無い。
まず、個人の署名記事でない責任回避スタイルがある。
まともな情報や記事、ニュースを流さないメディアはアメリカが怒っているという論調で恐怖心を一方的に煽り立てる。
日米同盟が要らないとか、急激に縮小しろとかの乱暴な意見でなく今後を見据えての立ち振る舞いを相手に強要されるからで無く自分の意見としてアメリカと議論しろと言うだけである。
度胸も無く、頭脳も無い日本の政治家とメディアはあたふたするだけである。
鳩山は時間を掛けても考えると言っている。
オバマ来日までにという期限は気にしないといっている。
それでいいじゃないか。
馬鹿メディアはこの国の後退を招く守られた公害有害機関として自覚を持ち、国民がお前たちのレベルに合わせるのは憐れさからだと知るべきである。

しかし、これからは遅々たる変化だと思うがメディアは変わると思う。
それは、メディア自身の自浄能力で無く、国民のITを利用した情報収集と日々の議論によるリテラシーの向上に寄るものである。
この民主化ムーブメントは時間を要するが確実に進化すると考える。
ホントはもっとすごいスピードで進化したいが血を流さない与えられた民主主義の代償として、ムリ、ムダ、ムラは仕方が無い。
日々、主張することが民主主義の義務であり進歩前進の過程で重要なプロセスである。

10.23.2009

第四の権力 巨大メディア

SAPIOの今回の特集、ジャーナリズムは変わらなくていいのかは個人的に興味深い記事に溢れていた。そしてTV,新聞は腐っている。
8月の酒井報道は過剰を通り越していた。
押尾の報道をかき消す為に露骨な偏向報道だった。
押尾の件で自民党、大物政治家の息子の関与をかき消す為にメディアが毎度のごとく協力体制で酒井報道で国民関心を誘導するあきれるくらいの馬鹿コメンテイターと国民愚弄なスタンス。
大物議員は8末の政権時はどんな心境だったのか?
いつも日本のTV、新聞は腐っているので嘘、誤報、プロパガンダは簡単に見破れるがそれよりもっとたちの悪いものがある。
世界金融危機の時限爆弾CDSのその後の報道についてである。
俺の勘ではいま報道規制を強いているのでないかと思う。
資本主義崩壊の元凶であるCDSの現状は積極的に報道されることは無い。
ストレステスト以降は特に世界協調プロパガンダで経済は財政出動により持ち直しているというそこの浅い論調がある。
本当にヤバイCDS、CDOは目を背けるか、ドルを乱刷していくか、後世につけをまわすか、万歳して破産して世界恐慌を巻き起こすか、借金棒引きを連発して信用崩壊の渦になるしかない。
資本主義も最終の価値基準は信用であり、大手金融機関だろうが、個人投資家だろうが、信用の無い人、団体は金、外貨、財産を持っていても意味が無い。
常識的な価値観に落ち着く。
しかし、4京7500兆円の負債額を世界の金融機関、政府、G20も穴埋め出来ない。
だから、CDSは報道しない。
少なくとも日本のばかTVとクソ新聞は報道しない。
追加記事、積極記事は書かない。書けない。書く意思、能力も無い。
本質のずれた記事、瑣末な記事、に終始する。
世界レベルでの規制でも個人のジャーナリストやIT時代の有志ある人はこの問題に繰り返し記事や本を書く人が日本にも世界にもいる。
しかしメインメディアの新聞、TVは広告や小市民的番組作りに終始する。
この巨悪たるメディアは大きすぎて潰せないというロジックはいらない。
日本の閉塞感の8割はいまやメディアの偏向報道が主因である。
国民の知る権利を蹂躙し、現実社会を歪め、民主主義をスポイルし、日本を窒息状態にしていることは重罪である。
本来報道されるべき真実は隠蔽され、その時間の真実は常に別の報道枠ですり変えられる。
ある意味恐ろしい程、単純馬鹿な国、日本は自主的無条件降伏は報道を止め、正義、真理、真実を求める報道に早急に改めるべきである。
敗戦後60年、真なる報道の無い国、日本はアンテナの無いノイズだらけのTVを見て過ごしてきた。
もうそんなゆとりは無い。
世界と日本の格差を厳視して一歩を踏み出してゆく時に来ている。
TV、新聞の人たちよ頼むから死んでくれ!
NO TRUTH NO LIFE.

Golf in green


10.20.2009

now and then


JBL.

Holy dog



He gave me some inspiration.

aerosmith NINE LIVES

BAD CITY MUSIC FILE

my favarite melody.

killer street
in sorrow
tragedy
day break
blue murder case
suspence &crisis
surf city blues
labyrinth of desire
down town blues
vespa
chaser
LONLY MAN
BAD CITY.〈TRAIER VERSION〉

HELLOWEEN

BLUE ROAD

SUN LIGHTS

reseach and investigation




10.18.2009

10.17.2009

極めて控えめな意見として

人は創造的で建設的で進歩的な思考の中で生きてゆければ最高だと思う。
時として、破壊的、非生産的な諸行無常の渦の中に陥る。
しかし、映画のようにハッピーエンディングな連続の生活は困難だ。
だから努力をして何とか幸せになろうとする。
しかし、幸せの概念が曖昧であると実感や到達もまた曖昧である。

軸となる自分の価値観や考えは修正を重ね収斂し強化される。
考え抜くことで到達する境地もあれば感性で容易に手にする感覚もある。

日々の思考の中で強大な渦の中で牙を抜かれ無いように且つ自然に生きてゆきたい。

暴論なのか?

日本人の人攫いの放置について。

国民がさらわれて喧嘩も出来ずにいる国のどこに誇りや信頼を置くことが出来るだろうか?
感情的は反応で俺は良いと思う。
感情を失くした冷静の装いは欺瞞である。
最優先課題で解決するべく問題がこれである。
白けた無気力の政治に期待することは日本人の奪還。
アメリカが協力しないなら、単独で軍事行動にでて威嚇するしかない。
平和の文脈での解決は無い。
本来人間は上等な生き物でない。
自然に帰ることは無い。
拉致解決の為の税金支出は納得する。
俺は親族に被害者はいない。
だが想像すると悲しくて仕方が無い。
日本政府の無為無策の放置は奴らの票に繋がらないことはしない本音を明示している。
暴力には暴力しか解決の糸口はない。
何故こんな答えを恐れるのか?
日本人は気が短い国民であり、政府与党は経済対策も重要だが
空疎な国際情勢の分析は止めて強気な奪還を強く期待します。

10.16.2009

yusaku matsuda


Black serica

rainy city lights

port view

10.14.2009

childhood

子供の頃、ひたすら勉強をせずに遊びほうけいていた。
野球や草むらの探索、カマキリや蝉、ザリガニを取ったりして。
まるで遊びほうけることに取り付かれているかのように。
勉強なんて自分を苦しめる悪の行為であり、自由が永遠に続くことが生きることの絶対命題のように感じていた。
勿論、こどもの頃なので、自分の皮膚感覚で感じてのことだ。
難しい理屈や親の勉強しなさいという言葉に反抗することが生きる証であった。
こどもの頃に感じていたのはそのまま大人になりたいという願いと自分が大人になった時どんな風に生きているのかという疑問、不安があった。
そして、いつも悪ふざけをして友達と遊んでいることが楽しかったが直感的に俺であり続けるしかないという解を自分で導き出していた気がする。
それは、職業的な自分の発見の前に自分の性格が保護されるべき環境に身をおくまで闘い続けるだろうということだ。
こどもの頃の感性が追憶の中で少しづつ蘇る。

大きな太陽の光に満ちた午前の日陰の下のひんやりとした空気のに包まれてブロックに腰掛けて考えていた一秒を。
深く広い青空に浮かぶ雲の流れの速さに目を奪われてちぎれ雲が薄く消えてゆく瞬間を。

朝露に濡れて光る雑草の緑を感じながら。

だいぶ時間が経過した。

何もかも思いどうりに生きられない悲しみは音楽や読書や旅行や友人との会話が助けてくれた。
強くなることが男として大切だ自分に言い聞かせてきた。

夕暮れに無性に悲しくなる10代の空虚感を超え、20代の生きることと仕事の無常観を超え、30代の意地でも勝ち抜くことに心血を注ぐことに倦怠感を覚え。
こどもの頃の自分をもう一度いま自問して見ると原風景的な素朴な自分に立ち返る。

しかし、最後に戻るのは悔しさとムカつきと苛立ちのある自分だ。
何度問い直しても苛立ちは消えない。
根源には何があるのだろうか?
神に対する審判?
人生に対する諦観?
使命に対する懐疑?

・・・・・・・・・
酒とタバコが増えてしまう。

nameless

nameless

nameless

Last train at the staion

10.13.2009

10.11.2009

Nobody calls in the telephonebox

metal wall

rules on the street

Shadow Boxing






中学以来の友人にボクシングを教わった。
公園で深夜、1時間ぐらい集中してスタンスやコンビネーション、重心移動を教えて貰った。
二人ともすっかり汗だくになり心地いい汗はやがて爽快感に変わった。
体を動かすことは気持ちいい。
かじりのボクシングレベルだがとても勉強になった。
本当に楽しい一時だった。

10.10.2009

Krazy

there were in my hole of soul.
nobody knows it.even me.
Krazy. It,s only truth.

散文的・・・

自分の中心は何か?
そんな問いに簡単に答える人もいれば答えに窮する人もいる。
俺にはこれしかないと言い切れる人は稀なほうかもしれない。
しかし、そんなセリフが吐ける人はやはり幸せだろう。
自分を知る為と言うより、自然な欲求に応じて散文的な言葉の羅列を楽しんでこのブログを立ち上げ続けてきた。
それは、日々の自分なシンプルな感情の発露の様に。
支離滅裂な内容が殆どであり、決してまともとは言えない。
自分の頭で考え、自分の言葉で表現する事を主に一瞬の感情を文字にする。
そんな営みは決して嫌いじゃない。
金にはならない。
金は要らない。
寧ろ、金の為じゃないのがいいかもしれない。
バラバラの言葉が存在し、自分の感性で言葉にしづらい感覚を表現する。
そこに、快感や恍惚を覚える。
文字に言葉にすることは自分の天性かもしれない。
考え抜いて感性の先にある言葉を紡ぎ出す。
破壊的、散文的であろうともキッチリと満足が行くまではこの表現することは止めれそうにない。
自然界の生き物が呼吸するかのように、太陽の光を浴びて成長をして行くかのように、ナチュラルな感覚だ。
知りえたこと、感じることを表現する。
稚拙でも内容が拙速でも希薄でも何度もトライして、その中から残る言葉が自分の中心にある感覚である。
だから、インスパイアされるものには敬意を払いたい。

10.09.2009

帰宅時にて



なんでもない風景。
ただ無口に家路を急ぐ人々の景色の中で

ショウペン・ハウエル他















今年読んでよかっつた本の1冊にこのショウペン・ハウエルの本がある。
読むことより、考えること、読むべき本を吟味することが重要という示唆に富んだ内容である。

心にしっくりときた。
他に数冊とCDを取り上げたい。

嵐の後・・・

これも昔の日本のロックバンド話でThe street slidersと言うbad boys bandがあった。

『風が強い日』というLazyでKoolな曲がある。
スローな曲でぼんやりした感じだが10代の頃好きだった曲の一つである。

昨日の台風の憤りにも似た風は日本の上空に広がる憂鬱を吹き飛ばすシンボリックな風に思えた。

強い風は何かを体現してるかのようだ。

被害も甚大だが嵐の後に空気が綺麗になったような気がするのは気のせいだろうか・・・

Ego

I can,t stand my ego.it,s ego about my brain.but I,ll keep on saving in my brain.
For life? for money? for anything?
I have no idea.Tell me why the reason.What for?

Bad joke is very real.
My ego always born these sense.

Up in smoke on the last cigarette.



cigarette on the street.
on fire.
I wait and see.
It,s never end.

VINO



このポンコツ原付は良く働いてくれる。
何度も倒して、傷つけて、雨ざらしにして手荒く扱っていたが上機嫌に快走してくれる。
タイヤ交換やオイルの補充などを何度もしているが、基本丈夫だ。
傷ついたボディも愛しい。
もう少し付き合いが長くなりそうだ。
今度、また洗車でもしようと思う。

just a little bit



真夜中の樹木。
暗闇の中で息を殺しながらも強烈な生命力を堪えている。
怒りにも似た感情を一人で無言にも表現している。
感情は自己の投影か?卑しくも表現力の豊かな沈黙は想像力を刺激する。
そこには本当は何も無いいつもと同じ樹木であるかもしれない。
思考することに疲れた時、またこの樹木と対峙したい。

10.07.2009

不均衡な構造物



不均衡な建設物の並びに開発される商業ビルの無様さは欲望のシンボルである。
その先にある憂鬱はコンクリートに固められ失意だけが残る。

Night view



静寂な夜の闇の中に