10.14.2009

childhood

子供の頃、ひたすら勉強をせずに遊びほうけいていた。
野球や草むらの探索、カマキリや蝉、ザリガニを取ったりして。
まるで遊びほうけることに取り付かれているかのように。
勉強なんて自分を苦しめる悪の行為であり、自由が永遠に続くことが生きることの絶対命題のように感じていた。
勿論、こどもの頃なので、自分の皮膚感覚で感じてのことだ。
難しい理屈や親の勉強しなさいという言葉に反抗することが生きる証であった。
こどもの頃に感じていたのはそのまま大人になりたいという願いと自分が大人になった時どんな風に生きているのかという疑問、不安があった。
そして、いつも悪ふざけをして友達と遊んでいることが楽しかったが直感的に俺であり続けるしかないという解を自分で導き出していた気がする。
それは、職業的な自分の発見の前に自分の性格が保護されるべき環境に身をおくまで闘い続けるだろうということだ。
こどもの頃の感性が追憶の中で少しづつ蘇る。

大きな太陽の光に満ちた午前の日陰の下のひんやりとした空気のに包まれてブロックに腰掛けて考えていた一秒を。
深く広い青空に浮かぶ雲の流れの速さに目を奪われてちぎれ雲が薄く消えてゆく瞬間を。

朝露に濡れて光る雑草の緑を感じながら。

だいぶ時間が経過した。

何もかも思いどうりに生きられない悲しみは音楽や読書や旅行や友人との会話が助けてくれた。
強くなることが男として大切だ自分に言い聞かせてきた。

夕暮れに無性に悲しくなる10代の空虚感を超え、20代の生きることと仕事の無常観を超え、30代の意地でも勝ち抜くことに心血を注ぐことに倦怠感を覚え。
こどもの頃の自分をもう一度いま自問して見ると原風景的な素朴な自分に立ち返る。

しかし、最後に戻るのは悔しさとムカつきと苛立ちのある自分だ。
何度問い直しても苛立ちは消えない。
根源には何があるのだろうか?
神に対する審判?
人生に対する諦観?
使命に対する懐疑?

・・・・・・・・・
酒とタバコが増えてしまう。