5.26.2009

友人の会話

久しぶりに友人と会った。
友とはいいもんだ。
昔みたいに馬鹿なことをいいながらいつまでも話せる。
昔より互いに年をとり、分別もついて真人間になったからこそ馬鹿な会話が最高に面白い。

いつまでもツッパテられない。
けれど、決して弱みは見せたくない。
俺は俺らしくありたい。
俺は俺でいたい。
自分であり続けることに嫌悪感や疲労感を憶える時もある。
しかし、一度しかない人生。
自分の生まれた意味や使命を追求し全うして生きる。
べースメントに自分の存在の大肯定がある。
そして、全否定を毎日する。
葛藤や挫折感やエゴや苛立ちを憶えている。
友との会話はそれを多少なりとも緩和してくれる。
昔の自分の断片を教えてくれる。
友人との会話がいかに大切かを知るこの頃である。

5.22.2009

コミカルカンバーセーション!

M-1グランプリ2008を今更DVDで観て

笑いのポイントをまとめると

1.ネタの解かりやすさ、イメ-ジのし易さ、
2.爆笑の密度
3.会話のスピード
4.勢いやバイタリティー
5.突っ込みのタイミングと正確さ
6.ボケと突っ込みのコントラストの明暗
7.前半、中盤、後半のペース配分
などが、バランスよく出来るペアが面白い。
やはり一人の漫談と違い二人の良さを最大限に引き出すことが重要である。

漫才の面白さも堪能できるが、審査員のコメントも意味深くて面白い。
会話の訓練になるので、漫才は勉強になる。

5.21.2009

生きる意味と日常の連続性

小さな正義と大きな正義がある。
小さな正義は自己都合に合わせて合理的に使用される。
大きな正義は見えにくい。
志や大局観が必要である。
生きる意味において大きな正義が有効である。
生きるモチベーションはそこにある。
連続的な日常に倦怠感や疲労感を覚えないためには大きな正義が必要である。
正義は前向きになる動機、プラス思考、目標到達のへの意思となる。

日常は退屈なものだ。
退屈な日常をぶち壊しダイナミズムや躍動感ある日々にするには目標や情念がいる。
不確かな時代において、必要なものは大きな正義感である。

5.20.2009

モラルキャピタリズム

今回の金融危機はモラルハザードが主因である。
意地汚いよくボケの金の亡者のウォールストリ-トの金融マンがモラルを嫌い暴走した。
2000年の商品先物取引現代化法がアメリカで可決されていこう金融商品が犯罪の道具になった。
また、アメリカの住宅バブルが景気の下支えとなりサブプライムローンが拡大化した。
これらも矛盾の経済、借金経済であり、アメリカが世界の消費の先導として景気を拡大した。
金融とITで製造業の発展を放棄し労働収入から印税収入、不労所得への流れを作った。

モラルの崩壊、倫理観の欠如、規制無き世界が世界経済の壊滅を誘導している。
古臭く、弱く、堅苦しく、かっこ悪いがモラルが大切でありそれなくしては無法、無秩序の世界になる。
喜びがあり、最大多数の最大幸福の共通項が実現できる理想の構築なくして進化や向上はない。
前の世代や歴史の恩恵の中で現在の生活が実現できる。
それは、らせん状に緩やかでも確実に発展を遂げてきた。
2000年以降9.11を境に国際政治は混迷を極め一方、世界経済は発展をを遂げた。
今は世界経済は終焉を迎える。
少なくともこのままのCDSの未処理や損失額の未確定が長引けば資本主義は崩壊する。
新しいパラダイムは見えない。
突破口はモラルの復活であり利他である。
貨幣経済はなくならないと思うが、価値の基準がドルや金や不動産から変化する。

此処から先は予測や理想の混在である。
精神的な基準や幸福度数、知識、知恵、知性、情報などの比重が高くなり、真なる先進国の定義は確実にシフトする方向になる。
無限環境エネルギーの開発が進み、二酸化炭素の削減や環境保護、温暖化の抑制、自然保護に意識が加速化する。
商品の生産は必要最小限になり、法律は道徳的価値観を重視して判断される。
リアリズムで考えてオカルトなアセッションはないと思うが、現実に精神レベルでの次元上昇は必要不可欠である。
基準はモラルキャピタリズム。
資本家から金融家へそして、万人の利益向上に導かれる利他の精神へ
人類の生活の向上、精神の向上。
皮膚感覚での幸福感。
実感の伴う幸せ。
共産主義の理想の良い部分を取り入れながら、向上をする資本主義、知本主義。
ラビバトラが言うプラウト社会の実現。
人類の苦悩はまだまだ 続くと思うが、少しでも共通の理想に近ずくように英知を絞りながら前進して欲しいものである。

民主主義のコスト

新型インフルエンザの拡大阻止の為に関西の小中高で休校が実施されている。
そこに、高校生がカラオケボックスで休日を楽しむ記事が産経新聞に掲載されていた。
今の時代の一部を映す生記事であると思う。
弱いものを守る。
それは、誰も否定しない正義であり耳心地がよい。
しかし、そこで、教育委員会がアメ村を見回り注意を促すことが無力でありじれったい感がある。
子供を守る為の休校がこの様である。

全ての事例は並列に出来ないが、生活保護や失業者への保険なども弱者救済の名の下に矛盾がある。
矛盾ない世界などどこにも無いと思うが、民主主義で構築される弱者救済、セーフティネットに合理性や公平感を求めたくなる。
選挙においても田舎の道路族議員が地方の便宜を図り利権や次の選挙対策として税金を都会からむしりとり箱物を作りまくる。
民主主義のコストはこの日本においては増大であり、民衆が愚かな場合、狂気の沙汰のシステムに成り下がる。
だからと言って独裁OKと言っているのではない。
ただ、民主主義はじれったく無駄があり、コストも高く、国民が愚かであればうまく機能しないシステムであるのは確かなようだ。

国の借金が800兆を超える平成の経済大国JAPAN。
時計の秒針が時を刻むたびに借金が増え、国民の希望や活力は減る。
  
マッカーサーが60年前に日本人は12歳だと言ったが、今でも成人はしていないと思う。
自分の意見と責任が大切である。
上から下までどちらも無いのが日本。

民主主義教育をするなら、責任や義務を教え、自由の意味を教え、意見を述べてからでも遅くない。
そのコンセンサスがあれば本来の先進民主主義国家として、今も次の時代も希望が持て、アホな意見や行動も減り少しは住み易い国になると思う。

5.18.2009

若さの定義

昨夜、49歳の友人(おばさん)が家に来た。
昔からパワフルな人だったが昨日も健在であった。
純粋な人なんだろう。
人の話も聞かないし、声はデカイし、やたら元気だが、憎めない奴だ。

おばさんというからまるで人のようだが、でかいペットみたいな人だ。
よくしゃべり、自分の意見をはっきりいい、屈託無く笑う。
よくビールを呑み、夜中でも笑い転げる。
マイペースでさすがの俺も疲れる。
この人物を見て、若さとはなんだろうと考えた。
決して実年齢だけを指すのではないことは確かである。
シンプルな人だがそれが人間として正解だと思う。
世の中、複雑で鬱陶しい事が多いが、無条件に元気なパワーを前にして人間とは、こんな感じで良いかもしれない思わされた。
職業環境や生き方、状況もあると思うが、人生、笑ったモン勝ち。
一秒でも真剣に生きて笑った回数が多く、よく学ぶべき者が充実した人生を勝ち得るのかもしれない。
基本、元気であることも大切だ。
若さの定義。
人生を笑い飛ばし謳歌し前向きに生きること、とでもしておこう。

5.16.2009

living in the kobe city.

新型インフルエンザの発症が神戸で確認された。
神戸に住んで7年経つが、2002年以降景気もよく問題の無い7年だった。
今日の神戸は雨降りの一日だったが、その雲の暗さよりも、深い暗雲が立ち込めているように思える。

やがて、このパンデミックも終わるだろうが出来れば早く終わりにしたい。
人間に対しての暗なるメッセージだろう。
欲望のコントロールと明るく振舞えと言う。

5.13.2009

真っ白な灰になるだけ・・・

あしたのジョー2の最終回が今日、CATVで放送された。
ホセ・メンドゥーサとの決戦。
矢吹はボロボロになるまで闘い抜いた。

試合後、グローブを白木葉子に渡した。
アンタに持っててほしいと。
葉子の心を察してのセリフだろう。

真っ白に燃え尽きるまでやりきる。
渋い。
たかが漫画の最終回なのに、なんか大切な友人の別れのような感情になる。
今尚、熱いファンがいることも頷ける。

ホントに感動しました。
ジョー最高!

5.12.2009

cigarette And beer

タバコが旨い。そんな時は、調子が良い。
ビールが旨い。 そんな時も、調子が良い。
自分のバロメーターである。

知的好奇心の探究

読書の興味はアメリカの音楽、映画、ファッション、政治、文化などから派生しきた。
そんな、20代だった。
落合信彦氏の本を18歳のころ読み始めて、20年近くになる。
そこから、柳田邦夫、堺屋太一、立花隆、大前研一、ジョセフ・マーフィー、ナポレオン・ヒル、船井幸雄、P.Fドラッガー、村上龍、村上春樹、和田英樹、エドガー・ケイシー、斎藤孝、七田眞、本田健、本田直之となり自堕落的な読書が作家のジャンルを問わず続く。
生きている間にいろんな作家の文章を読みたいが、時間的な制約がある。

ショーペンハウエルの言葉で、読まない本を見極めて、本を読む とあるが、ホントにそれは大切である。
自分のライブラリーを眺めてホントにバラバラだと思う。
その時の興味関心の中で徒なるままに読んだ。
読書論のほんすら沢山読んだ。
読書は見返りを求めず、気の向くまま読むのが一番だ。
少なくとも俺のスタイルはそうだ。
固く考えるとスクエアになる。
専門なしの馬鹿読書は愚かだが強く面白い。

5.10.2009

ビジネストーク

真実や真理を導き出す為に、事実や現実を積み重ねて確証の共通項から答えを導き出す。
特に、人との会話の中で一貫した合理性を見つけ出し、相手の矛盾点と一貫性を照らし合わせて一体相手は何を求めているのか、何を訴えているのかを考えるのに注意を払う。
しかし、こちらも相当の注意力を要する。
仕事上の商談においては、会話と言う曖昧なやり取りの中で、具体性やリアルさを欠きやすい。
そこで、数字や現実の証拠、相手の実感を注意して判断する必要がある。
自分の神経の全てを総動員して交渉に臨む。
俺は、そんな真剣勝負が好きだ。
勿論かなり疲労する。
考えれる、知る限りの限界から先を予測する。
その予測が当たるか外れるかは自分しだい。
自分の中に蓄積された経験や情報を糧に考え抜く。
予測が当たると確信に変わる。
連続性が伴えば、法則として自分の中で教訓となる。
法則には例外もある。
イレギュラーは貴重な材料として保持する。
人間対人間の仕事においてのやり取りは勝ち負けを自分の中で設定してやると面白い。

5.08.2009

雑感の中で

毎日の幾つもの雑感のなかで。
形を変え、姿を変え。
少しずつ辿り着く。
思い違い、誤り、全くの失敗。
覚悟して、毎日を生きてゆく中での迷い。
リアルなものだけに確かさを憶え。
スクエアな自分を否定して。

WILD HEARTS

冒険心。
幾つからだろう?
そんな心を忘れてしまう。
きっと10代の頃はピュアな感性で自然に持っていた。
今、そんな感性は俺は持てているだろうか?
自問してみる。
間違いなく、失うもの中から幾つかの確信を得ることで冒険心を失っているだろう。
失ったものと勝ち得たもの。
並べて数えてみても意味が無い。
冒険心。
取り戻すことで、人生は少し前よりも面白くなるかもしれない。

spitz

柄じゃないが、スピッツのロビンソンは今更ながら、いい歌だ。
切なくて、浮遊感があって、悲しくて、心がある。
ハチミツというアルバムの中にある、それぞれの歌も良いが、やはり特に良い。
忘れかけていた、気持ちを思い出させてくれる。
良いものは時代を超える。

5.06.2009

未来像の断片

人が欲する、理想の世界とはなんだろうか?
少なくとも福祉の行き届いた社会ではない。
そこでは、人は働く意欲、生きる意欲、自分を持つ努力を忘れるからだ。
人は怠惰な生き物である。
多少の苦労、艱難辛苦が人を磨く。
現実の冷たさを理解する方が、頭脳が冴え、判断が切れる。
現実的に福祉の普遍化を世界中にするのは無理だが、必要ないと思う。

福祉は弱者だけでよい。
むしろ、普通の人々には希望が必要である。
人類共通の希望なんてあるのか?
一般的なイメ-ジの皆が楽しんでいるイメ-ジなのか?
それも良いと思うが、具体的でない。
縦軸と横軸が必要であると思う。
縦軸は上に這い上がりたいと思う上昇志向の人間。
横軸は極端な格差を是正し、インフラや公共物を豊かにし、物質でなく、文化、教養などの知的好奇心を追求する人間を増やす。
レベルアップを目指す。
知識社会の到来などは、読書教育と共に議論すべきである。
また、富の再分配をすべきであり、その一方で、怠慢な人間を強制労働施設に送り込むことも、本当に公平にするには必要である。
よく働く、稼ぐ人が懲罰的な税金の徴収ではかわいそうだからだ。
国も税金をとることだけで公共サービスとしては最低なので、評価基準を設けるべきである。
金の使い方、行政サービスの充実度、透明性、二重行政の排除など。
矛盾を少なくし、理想の構築をするには、人間の愚かさや汚さを理解し現実に基ずいてデザインしなければならない。
究極は楽しくて仕方が無い、将来が楽しい、良くなるという気持ちが大切である。

自由放任主義と人類のレベル

人類のレベルにおいて、自由放任主義は無理である。
資本主義の運営を市場に任せたり、自由放任主義にしていると、今回の金融危機みたいになる。
1907年の恐慌、1929年の恐慌にもその後、株価の大暴落もそれぞれのバブルの崩壊が原因である。
バブルの原因は人間の心理状態に理由がある。
心理としては、投機的な株や土地の売買の繰り返しで価格の上昇が永続的に思われ、儲けなければ損という人間の欲望を刺激する状態にある。
人間は感情の生き物である。
常に冷静であるなんてありえない。
人間の愚かさをよく考えて、経済システムを構築すべきである。
警察がいなければ、犯罪は溢れる。
人民の道徳心で、規律が守られる訳でない。
管理、監視、モニター、記録、制裁、監督が必要である。
特に、国際的な経済ルールを構築する上においては、文化、宗教、国柄、などが相違する中での普遍化であるので、より困難である。
しかし、グローバリズムが進む今日において、議論を重ねた上でより良いルールの構築が急がれる。
一部の欲望にまみれた頓馬な連中の金儲けの為に、人類全体が、被害を被るのはご免だ。
むしろ、暴走をさせない、許さない、強制力ある監視を国際機関として設立する。
IMF、ILO,WHOみたいな金融版国際監督機関として。
経済の問題は、どこの国も関係してくる問題だけに慎重な議論が必要だ。

5.05.2009

憂鬱な未来学者

人は経済学の理論のみで生きるにあらず。
しかし、経済は物質的欲望や文化的生活を営むにあたり必要で重要な生活基盤である。

産業革命以降の人類の物質的繁栄の中で、植民地政策、軍事政策、帝国主義、共産主義、資本主義などの幾つものイデオロギーがあったが、その中でも、修正資本主義と民主主義がベストではないが、ベターに近いイズムとして広く受け入れられた。

この先の未来学者や経済学者の予測でリアルに明言している人を寡聞にして知らない。

曖昧でいい加減な予言めいた発言がメディアにあるが、信用に値しないものが多い。

例えば、2012年にアセンション(次元上昇)して人類が向上するとかだ。

確実に寝言である。
人間はそんなに上等な生き物でない。
別に悲観論でないが、2012年の段階でも、喩えその時点で大恐慌が来ても、軍事や王制や独裁などに固執する支配者はいるだろう。

また、国際協調を嫌う国家、保護主義の横行、民主主義のテ-ブルに付かない国々の存在もあるだろう。

民主主義が力を誤り、集寓政治の毒性を見せている今の延長線上にモラルハザードを幾つも見るかも知れない。

まだ、見えない少しばかりの未来の光を感じ取り、決して悲観しすることなく未来のパズルのピースを少しずつ集めていく作業が未来学者には必要である。

明るいばかりの未来はない、がしかし、暗黒の未来ばかりでもないと考える。

これから迎える、2010年、2011年、2012年は大恐慌に入るのが必然のの様な世界経済の危機である。

ドルの信任が崩壊しつつある現在。
新通貨の構築、アメロの使用か?
金融規制の国際協調と国際機関の構築による第三者機関の監視か?
グローバリズムで政治、経済の連鎖性のある世界において、過去のIMF、WHOのような構築を急ぐべきか?
各金融機関の公的管理化、公的資金投入、借金帳消し、棒引きは社会主義化の始まりで本来の資本主義の理念から遠い。
不公平感も残る。
強大な矛盾も残る。
弱者の排斥、強者の救済。
税金は支配者の権力維持の為、弱者は搾取の対象など。
世界の皆が、世界経済が崩壊していることに理解し、小手先の経済対策に終始する政治家とそれを報道するメディアに対抗する手段を持ち合わせない。
無力感がある。
不況報道に倦怠感が残る。
不況の根本原因、クレジットクランチ。
そのクレジットクランチの主因のCDSの規制と敗戦処理に根本の解決策が必要である。
メタボリックな金融機関の経営者に経済処罰を課し、一方で、証券化商品を許認可制にして、今の負債分は長い分割返済を一部して、また、帳簿から消すべきである。
人類共通の利益にならない、一部の富豪や投資家の醜い利益追求は社会的抹殺を図る。
メリハリなく、税金で負債額を賄うのは道徳的矛盾を強大にする。
ひいては、未来に向けての損失が社会的に大きくなる。
誰も、答えは持ち合わせていない。
これから、答えを皆で作っていかなければならない。
その意味において、憂鬱な未来学者に将来を語らせてはならない。