6.27.2010

humid nihgt.

It.s getting more and more so tired.The perfect complex  of mentality is Japaneses  tragedy.
So humid night.The most important things is thinking deeply.
We have no idea to live Well.But we have many material sciense.Afer the war.
We were working hard day by day.If we  were more wise.we would live well in our history.
We believe to live as real samurai.

終わりなき戦い

終わりなき戦いとは神経戦である日本政治である。
油断や妥協は権力者の思うつぼである。
政権従事者、運営者に対して国民は馬鹿ども高い金で雇ってやってるんだから検証するべきである。
発言の一致、行動の一貫性、裏の活動による財産隠匿など。
ここまで矮小化、小市民化、愚劣化、即物化している政治家の実態は20歳以上の全ての国民に責任がある。
また、政治家の愚劣さは本人の愚かさが全てである。
日本の崩壊は脳と精神が発端である。
そしてその環境要因はマスメディアの大手5大新聞社と主要民放放送局である。
今は洗脳の仕上げの段階にある。
国民は意志を持たず、疲労困憊した灰色のニュ-スを綺麗なTVのブラウン管を通してジャンクフードを食べながら搾取されてゆくのだろう。
馬鹿げたそして幼稚な政治劇場はいらない。
この夏の参議院選挙以降も日本の不幸は継続してゆく。
アメリカにも中国にも韓国にもロシアにも筋を通して発言して容易な妥協をしない政治家を求む。
子供手当、高校無償化、高速道路無料化、人権保護法案、外国人参政権、全ていらない。
必要なのはベンチャー企業育成の資金援助、規制緩和、宇宙航空開発、IT分野の援助、義務教育の18歳までの延長、国語や歴史、文化、論文、軍事、科学全般の授業の充実、1年の徴兵、自衛隊の法解釈の明確化、核武装、18歳からの成年、福祉の削減、法人税20パーセント、日本列島の武装基地化、書籍や文化活動の無税、大学のレベル向上、国際情報部設立などである。
必要なのは現実に立脚した中での理想の構築であり、誇りある日本の構築である。

6.26.2010

Early Rebbeca.

Rebbecaのファーストアルバム「Early Rebbeca」を久しぶりに聴いている。
15歳の頃にダビングしたカセットテープで何回も夜更けまで聴きこんだ頃が懐かしい。
蒼ざめた時間、ヴァージニティー、Preciour Starなどいい曲がいっぱい詰まったアルバムだ。
ノッコの悲しげで少し大人びた意志的な声が魅力である。

6.25.2010

参議院選挙

参議院選挙の候補者が立ち並ぶ中、各政党の党首の暴論がばら撒かれている。
ワ-ルドカップよりも選挙が本来重要な事柄であるはずだが、そう思えないように情報操作されている。
各党首、政党の自己の人生、生計、繁栄、安定の為の選挙である。
目先の話、矮小化、陳腐化、小市民的な政策と低俗で近視眼的な意見に判断能力の鈍い国民は目くらまされている。
選びたい候補者も政党もなく、ひたすら悪趣味な報道の切り口が日常を追認強化している。
緩い具象化されたそしてボケた評論が大量生産され偏向報道の中で国民の思考能力を剥奪することに懸命である。
メディアも受け手である国民も本当は辟易しているのではないだろうか?
朝から晩までくだらない話(報道)に付き合うことは緩慢なる拷問に類似している。
本質的で未来的で希望に溢れる血の(知の)通ったメッセ-ジを送る政治家はいない。
感情や感性があれば本当に窒息しそうなこの国の低俗さに暴力で返事したくなる。
日本人はアホなのか?
ゆとりがあるのか?
それとも鈍感なのか?
我が国、日本の将来は退屈で低俗なバラエティに浸食してもよいほど無価値なのか?
この参議院選挙でまた愚劣な日本の政治史に新しい馬鹿げた演出が付加されるに予感がする。

Old friend.

昔からの友人に久しぶりに会った。
時を重ね、幾つもの思い出を持ち、同じ時代を生き抜く戦友として。
思い出話、人生の節目、これからのことなどを話した。
あっと言う間に時は経ち、別れの時間になる。
また互いに日常に吸い込まれてゆく。

6.24.2010

space in the earth.

This blue planet is like a miracle music.Some rhyme.Some sound.Some timing.All harmony is here.Nobody knows the truth of the natural law.Crazy amazing.

Wild animal in Higashinada Ward.

IN GREEN

NAGOYA CITY



6.23.2010

Tamara de Lempicka

兵庫県立美術館でレンピッカ展を見学してきた。絵画の知識はゼロだが、素人目で見ても強烈な迫力のある作品群であった。ニューヨークというタイトルの絵画とその素描があった。デッサンの段階で極めて細かく描きこまれたビルは完成した技術に裏打ちされたものと確信できた。
また、本を読む赤毛の女という作品は躍動感に溢れ、立体的でもあり、俺には動き出すんじゃないかと思えるぐらいの迫力があった。ある種の生命観というか、怒りの混じった狂気と言うか肉厚な力量を感じる。
そしてこの作者が女優並みの美貌を持つ画家であることも興味深い。
写真はレンピッカの画集を買ったものである。
有名な作品、緑の服の女である。
ムンク展の時にも強烈に感じたが、本物は相手を圧倒し黙らせる力がある。
本当に感動した。
力強い画風、大胆且つ鮮明な色使い、そして光と影の部分の明確なグラデーション。
素晴らしいという言葉に尽きる。


Rainy. Rainy.

家路を急ぐ快速電車の車窓に滲む雨雫が横殴りにつたう。
最寄の駅に辿り着けば、激しい雨が路面を叩きつける。
こんな激しい雨はいつまでも続かない。
同じように雨足が弱まるのを待ちぼうける人達。
土砂降りに飛び込む人。傘を持たない人。
時間を潰すために、くたくたな新聞を読み、何本かタバコを吹かしたりして見た。
予想通りにやがて雨は小ぶりになり、駅から何人かの背中が消えた。
路面を叩く音が弱くなり、タクシーのヘッドライトが浮かんでは消えた。
止むことは無さそうなので、諦めて深夜の雨の街に飛び込んだ。

6.21.2010

A day is a life.

一日一生と言う言葉がある。
毎日が光陰矢の如しと言うままに過ぎ行く中で。
一日を生き抜くことで精一杯の生活。
忙しさの中で様々な想いを忘れ、そして様々な思惑の中に囚われる。
日常生活、国内外の政治、経済、時事問題、ビジネス、精神活動さえも状況の中で文脈を変え、意味を変質させる。
連絡をしていない友人。
昔の思い出や生まれ育った廃れた街。
通いつめた馴染みの店。
馬鹿をしてた頃の青い自分も記憶の果てに尽きてしまいそうになる。

昔、好きだった音楽でも聴きながら少し感慨に耽ってみようと想う。

6.03.2010

鳩山辞任に想うこと

発言も軽いが、辞任も軽い。
そして国民より党と選挙が中心の弁解をたれていた。
大きな世界で長い時間の大局観での思考がない彼には情緒的な言葉の羅列が全てである。
メディアも白々しい。
馬鹿らく幼稚くさいこの国の小さく惨めで歪んだ世界観はもう限界に来ている。
大きな世界観での目標を語るリ-ダーがほしい。
国家レベルにそぐわないこの国の政治家は恥の生産工場である。
鳩山辞任は国民の軽薄さである。
ここまできたら何人でも擁立しそして辞めさせて毎日でも変え続けたらどうだ。
現実の政治がここまで空虚である今。
考え抜くことが民主主義のコストであることを肝に命じて日本人として生きてゆこうと想う。

Half of the year. past.

6月の心地よい風が窓から吹き込んでくる。
今年の半分が過ぎた。残りの半分をどう過ごすか考えたい。
一年の経過は早い。
ちょうど半分の今ごろを区切りとしてここで集中的に考え抜くためにも時間が必要だ。
思考回路を発展させてそして高い視点でつまりゴールを構築して意味を見出す。
日々の時間に流れに負けないように。