6.25.2010

参議院選挙

参議院選挙の候補者が立ち並ぶ中、各政党の党首の暴論がばら撒かれている。
ワ-ルドカップよりも選挙が本来重要な事柄であるはずだが、そう思えないように情報操作されている。
各党首、政党の自己の人生、生計、繁栄、安定の為の選挙である。
目先の話、矮小化、陳腐化、小市民的な政策と低俗で近視眼的な意見に判断能力の鈍い国民は目くらまされている。
選びたい候補者も政党もなく、ひたすら悪趣味な報道の切り口が日常を追認強化している。
緩い具象化されたそしてボケた評論が大量生産され偏向報道の中で国民の思考能力を剥奪することに懸命である。
メディアも受け手である国民も本当は辟易しているのではないだろうか?
朝から晩までくだらない話(報道)に付き合うことは緩慢なる拷問に類似している。
本質的で未来的で希望に溢れる血の(知の)通ったメッセ-ジを送る政治家はいない。
感情や感性があれば本当に窒息しそうなこの国の低俗さに暴力で返事したくなる。
日本人はアホなのか?
ゆとりがあるのか?
それとも鈍感なのか?
我が国、日本の将来は退屈で低俗なバラエティに浸食してもよいほど無価値なのか?
この参議院選挙でまた愚劣な日本の政治史に新しい馬鹿げた演出が付加されるに予感がする。