10.25.2009

愛国独言

自分としましては今すぐ日米安保を解約して、自国の武力で専守防衛可能とは考えていません。
但し、人間関係でも、国家間でもいつでも喧嘩したろうかという覇気や意思を持っているぐらいの自信が精神衛上、健全であると考えます。
奴隷の如く働き、意見を言わず下を向きびびるのが、日本のこれからのあるべき姿であるとは考えません。
また、G2や新興国、BRICsの台頭を考えた時、これからのパラダイムは今までのパラダイムの延長線上に無いことは確かです。

慎重に現実的に進歩的に考えて意見交換をアメリカとしてゆく事が望ましいです。
それは、今すぐアメリカと決別することではない。
また、属国として形振り構わず言いなりになる事でもない。
沖縄の意見や極東アジアの周辺有事を睨みながらも自国の武力を強化して、憲法9条を破棄し建前の議論を止めることから始まります。

敗戦後60年はラッキーな平和の時代であり日本人は脳髄まで生きる根本的な緊張感を忘却した中でのマスメディアの馬鹿論調で騒いできました。
今や軍事大国、中国、ロシアを初め、北朝鮮の核ミサイル、台中関係、北方領土、竹島、など火種はアメリカ一国の依存では困難でありアメリカの国益に反する物が多数あります。
1902年に日英同盟を結んだ時の日本は極東の貧国であったが世界を支配する英国に対等に口利きをしていた。
今、現在は経済力の凋落があるとは言えども、経済では決して小国ではない。
情報収集をして、知恵をだす事で好転する事があるはずである。
政治的臆病で居る事で年間、何万ドルの損失をおこしているだろうか?
民主主義のバランス感覚では意見の無いものは馬鹿にされる。
反対意見のすり合わせの中で有益な関係と意見の成就が成り立つ。
劣等感を日本国民に植えつけるやり口はアメリカ圧力と臆病な日本のメディアの二重規制の賜物である。
自虐史観や情報鎖国のメディアは日本国民の真実を知る権利を蹂躙し目を奪い、耳を塞ぐ行為に等しい。
アメリカは日本政府支配し、日本政府は民間人、民間企業を支配し、一般日本国民はその息苦しさの中で開かれた情報を知ることなく、自主規制や検閲された記事、ニュースの中で長時間労働に勤しみ疲れの中で諦観に似せた縮み思考に陥落する。
俺はそんな自信の無い日本に心底憤りを覚える。
普通の国であるには、タブーを消してあらゆる選択肢の中で議論をすべきである。

勿論、軍国主義を目指すのでは無い。
しかしながら、人類の意識レベルは未だ低く綺麗ごとでは生きてゆけない。
基地問題も日米安保も核武装も議論してはいけないというのは本当に日本は北朝鮮以上に民主化の可能性の無いマスメディアのマスゲームに踊る不気味な集団に成り下がる。
色々考えた挙句に日本の諸悪の元凶はメディアが主因であると考えているのは以上の理由に寄る。
喜怒哀楽の無い無機質なひれ伏すだけの日本はアメリカの学者が言うように巨大な無脊椎動物だ。

昨日の寺島実朗氏のコメントは実に控えめな意見であり誇大妄想的な主張を述べていた訳でない。
そこに意味や心を感じる。
国際情勢の巨大な人間関係だ。
強いものには従うこともあるが、土下座しすぎるのは自律神経失調する恐れがある。
そんな大人を見て、日本の子供たちは肌で感じ取り自暴自棄になり更に弱いものを叩く。
要は屈折してゆく訳だ。
極端に愛国の針が振れておかしくなる前に冷厳に英断を下す政治家と国民世論を望みたい。