10.10.2009

散文的・・・

自分の中心は何か?
そんな問いに簡単に答える人もいれば答えに窮する人もいる。
俺にはこれしかないと言い切れる人は稀なほうかもしれない。
しかし、そんなセリフが吐ける人はやはり幸せだろう。
自分を知る為と言うより、自然な欲求に応じて散文的な言葉の羅列を楽しんでこのブログを立ち上げ続けてきた。
それは、日々の自分なシンプルな感情の発露の様に。
支離滅裂な内容が殆どであり、決してまともとは言えない。
自分の頭で考え、自分の言葉で表現する事を主に一瞬の感情を文字にする。
そんな営みは決して嫌いじゃない。
金にはならない。
金は要らない。
寧ろ、金の為じゃないのがいいかもしれない。
バラバラの言葉が存在し、自分の感性で言葉にしづらい感覚を表現する。
そこに、快感や恍惚を覚える。
文字に言葉にすることは自分の天性かもしれない。
考え抜いて感性の先にある言葉を紡ぎ出す。
破壊的、散文的であろうともキッチリと満足が行くまではこの表現することは止めれそうにない。
自然界の生き物が呼吸するかのように、太陽の光を浴びて成長をして行くかのように、ナチュラルな感覚だ。
知りえたこと、感じることを表現する。
稚拙でも内容が拙速でも希薄でも何度もトライして、その中から残る言葉が自分の中心にある感覚である。
だから、インスパイアされるものには敬意を払いたい。