12.30.2008

マイナスのスパイラル。プラスのスパイラル。

日本社会に蔓延する希望なき日常の連続性に対する倦怠感と金融危機における悲壮感の掛け算が表層的平穏さにあふれる街並みに歪んだコントラストを育んでいる。
余程の鈍い人でない限り、諸手を挙げて日本は将来において永続的に楽観できると考えているは皆無である。
むしろ、高度経済成長の長い階段をステップアップしたのと同じくらいの時間の長さで、ステップダウンをして行くかもしれない恐怖や不安に襲われているだろう。
下り経済は人心を荒廃させ、時に半狂乱にさせる恐れを含んでいる。
だが、一方で一度、築き上げた社会的インフラや教育、技術が急降下することはない。
完全な悲観視は逆に現実を見ていない。
事実や現実も大切だが、感情やマインドもそれ以上に大切である。
経済アナライズが指標やデータのみに終始しても偏りや、見落としが付きまとう。
日本に必要なのは、国民コンセンサスが取れる、ナショナルゴールの再設定である。
そして感情の鼓舞である。
明治維新以降の富国強兵や近代化の推進は実現している。
衣食足りて、空虚に満ちるとは、あまりに経済成長軸での価値判断に偏りすぎた日本の実像の主因である。
国家の近代化が達成されていて、次のゴールの設定をしないまま無目的な経済暴走を繰り返し、状況に応じて帆を張りなおすことも限界である。
意欲喪失、希望格差社会の病理の主因は感情を殺すことにあると俺は考える。
理性と感情。
理性が音をたてて壊れていく。
この文脈に理性とは日本主義的価値観の成功体験から体得した旧来の成功軸のことである。
ただ、今は、変化をしなければならないとい強迫観念からの発想であり、それは希望に基ずく者でない以上、
普遍的価値になり得ない。
故に、日本全体を動かす原動力にはならない。
経済の破綻が日本を逆によくするという仮説を立ててみた。
日本がよくなると言う定義は、経済的にも、人心的にも、社会全体に広がるべく希望と言う意味である。
では、何故、経済の破綻が日本がよくなるというのか?
それは、此処まできた矛盾を整理して、人々が協調しあい、助け合う社会になるきっかけになるのではないか
という意味である。
先進国において、国家の役割は国民の生命、財産、身体を守る為だけの機能ではないと考える。
寧ろ、よりポジティブに生きてゆく為のテーマやスローガンや主義の構築の中で生産性を高める足がかりや補足をする役割が先進国の運営において大切であると思う。
衣食足りて、礼節を知る。
その先に、幼稚なレベルでの倦怠的先進国病や英国病に陥るのでなく、新しい幸福軸の種まきをコンセンサスの中で育むことが政治家に求められる手法である。
何も、政治家や国に全てを押し付ける意味や願望を述べているわけでない。
政治は虚業であると言われる。
しかし、知的創造性を高め、永続的繁栄や向上の種類を創造するベクトル作りは必要不可欠である。
欧米に学べば、セオリーは今まであった。
この先は、道なき道を行く時代である。
先に進む国と書いて先進国である。
重要なのはどこにどれだけ進むかである。
今の悪循環から好循環サイクルに転ずれば、プラススパイラルは加速化する。
今度、ただ単に経済が持ち直しても、プラスベクトルにならない。
国民議論の基に国家目標の構築をすべきである。
個人的なレベルに落とし込むと夢である。
夢を追うというか、理想実現に向けた行動や運営をして達成できれば充実感がある。
人的資源は今現在の日本にある。
経済力もある。
理想や希望がないの今の閉塞的日本の現状である。
国全体が自律神経失調症でりノイローゼである現状を脱し、政治の空白、国民の政治的アパシーを克服する為にも、理想の構築、目標設定が重要である。
最後に、感情の盛り上がりが希望に満ちた心が大切である。
資本主義にも民主主義にも修正が必要であり、知恵を絞り構築することで、プラススパイラルに転ずる事を俺は考えたい。