1.14.2009

豊穣なる都市化の苦悩の序章

都市化、近代化の中で快適さを追求して豊かな生活実現した現代社会。
無目的日常の中で成長や自己拡大を持続する経済が破綻してゆく轟音を毎日メディアが喧伝する。
終わり無き日常の連続の延長線上に明るい未来図を描けずゆっくりと、しかし、確実に資本主義経済における幸福の大量生産は終焉を見せてる。
経済、政治、社会が大変革を見せる中でイデオロギーや成功体験による経済理論の瓦解は理解できるが、次たる理想図や新しい社会理念たるものを見つけることは困難である。
100年に一度の危機という元FRB議長、グリーンスパンのフレーズは金融危機の記事を読めば理解できるが、実態経済の金融資産の4倍以上の負債に対しての返済方法や清算の術のないままでの景気浮揚策は焼け石に水どころか、金融バブルと同義で根拠無き経済政策バブルである。
大量生産大量消費による経済拡大、それは、不特定多数の物質的豊かさを実現した。
IT、情報革命葉デジタルデバイドとなり格差社会のトリガーとなった。金融による経済の拡大。
本来、投資をして資金、資産を効率的に運用して収益を適正に上げてゆくシステムが投資から投機に変わりルール無き世界公開カジノ劇場になった。
サブプライムにおけるアメリカの借金型経済の破綻の結末は数年前から予測されていたことであり、的中させたと豪語する特定の経済アナリストの専売特許でない。
構造不況という言葉が何年も前に流行したが、今回こそ世界規模における金融危機に端を発した自由貿易における構造不況であり実態経済を破壊する核爆弾的破壊力の爆発である。
経済だけにおける問題でなく政治体制や各国の社会構造も巻き込むマイナススパイラルのダイナマイトであり、人類の英知が試される試練の時である。
此処に、絡み合うものとして、自由資本主義の限界と矛盾、急激な人口爆発、経済のグローバリズムによる連鎖性、民主主義国家と非民主主義国家の政治手法の断絶、先進国と経済偏重のみの大国の発言の温度差、ドル決済の信用の崩壊、アメリカ帝国主義の現時点での没落の凶音、経済成長と環境維持のアンバランス、エネルギー争奪戦、食料危機説、など。
先進国においては単純に幸福の定義が描けない世界で他者との繋がりを求めながらも、個人化する経済やライフスタイル。
複雑化の逆は単純化であり拡大の逆は縮小しかない。
適正な規模における経済や社会運営を政治家のみの案でなく、特に先進国で豊かさや快適さを享受している人々は考え抜く時に来ている。
そして、究極の快適さは不快さに繋がり、混乱と破壊を招く。
事実、不完全な人間と言う存在が編み出したシステムに自ら人間自身が苦悩している様である。
効率化や合理化は不快であるという結論の合意形成が数年も経ずして到来しそうである。
この苦悩の先に新しい道があるのは間違いないと思うが、そこに辿り着く前に、かなりの犠牲が今後、全人類に強いられると思う。
途轍もなく賢人が出現して瞬時に問題解決を望みたいが、民主主義の過程を踏む現段階においては捲らなければならないページがあり、速読不可の本の様である。
ただ、この難解な局面において同時代に生きる一人の人間として退屈せずに考え抜くチャンスであり。思考体力強化に最高の教材を時代が提供してくれいると思えば面白い。
豊穣なる都市化、近代化、による生活の中で、貧弱な精神主義に偏らず、がしかし、精神の重要性を忘れず、強く楽しく生きる為に全ての矛盾を楽しみたいと思う。