先日、またもやヒストリーチャンネルでザ、ユニバース、宇宙の歴史で銀河系の特集を観た。
太陽系をCDに例えると我々のいる銀河は地球のサイズになる。
途方も無くでかい。
チリとガスが漂う宇宙空間で集積してゆくうちに互いが重力で引き合い集合し質量が大きくなる。
それが星になり、星たちがまた互いの重力で引き合う。
質量の大きすぎるものは、ブラックホールになったり、して更に周りの全てを飲み込む。
それは、光でさえも。
スケールも地球上の人間界の常識も遥かに超えた世界。
宇宙の始まりビックバンも終わりの予想ビッククランチも意味も意義も無いと思えるくらいでかく果てしない。
人間は宇宙の全てを知ることは不可能かもしれない。
けれど、強く魅了される。
Only god would know the reason.
but, this world is turning round and round and round.
真空の状態は無でないとか、ダークマター(暗黒物質)があるとか?
俺的な宇宙論は人間の無意識や脳の99%が宇宙であり、例えば睡眠中の意識は宇宙空間に彷徨う惑星の状態であると思う。
意識のある人生の一定の期間だけ自分らしく入れる。
しかし、C,Gユングの言う集合的無意識の意識化の普遍的記憶の繋がりは他人も自分も繋がっていて、独立無二の存在でない。
水を切り裂くことが出来ないように、宇宙を切り裂くことが出来ないように。
集合し一つの形をなし、時が来て、やがて壊れる。
そしてまた、残骸が集まり新たな形となる。
終わりも始りも無い。
エネルギーの集合体でありそのエネルギーも測定不能。
ONENESS.
一つは全てであり、全ては一つである。
そして、一つでないかもしれない。
言葉遊びじゃないが、そんな感覚である。
そもそも、言葉にすることが不可能である。
無限大、great something,大自然、神、宇宙の法則、なんとでも言えるが、必ず意味がある。
意味論の大肯定でないが、感覚的にそう思う。
科学的に宇宙を解明する試みが近年の科学技術の向上で飛躍的の伸びている。
太陽系、銀河系、宇宙全体やインフレーション。
人間の命は何かを表現する為の一つの礎の様だ。
それのみで完結することの無い、しかし、その一つはかけがえの無い一つである。
孤独な時間と空間の意味の無い一秒でない。
ここが、宇宙の果てであり、ここが宇宙の中心である。
命は活動であり、活動はエネルギーである。
そのエネルギーは無と有の共存である。
生きている時間より死んでいる時間の方が長い。
死んでいるもしくは、形の無い時間も一つの真実である。
その真実が意味のあるようするためにも、むしろ生きている時間を充実させることが大切である。
宇宙にシンプルな法則があるとしたら成長の法則である。
時間と共に必ず成長する。
成長しない方が寧ろ、不自然である。
問題はどの方向に、どんなスピードで成長するかだ。
だんだん、難しくなってきた。
きっと答えはシンプルなはずなのに。
死んでいる時間の方が長いと先程書いたが、形のない時間が真実で、自然であるとしたら、命はきっと人間や生命体をやりたがっていたはずだ。
頑張って、願って、人間に生まれたのに苦しんで、悲しんで死んでゆくとは自然の法則に反する。
けれども、、人は悲しがりやだ。
悲観視、挫折、苦悩、困惑などを繰り返し生きてゆく。
太陽が毎日、地球の半分を光で照らしているというのにだ。
赤ちゃんの時、泣き叫ぶ癖がついて生まれたのかもしれない。
そして、言葉を覚え、無く事を止め、語り出す。
人生未だ語らずのスタンスは取れない。
寧ろ、語るべきである。
無意味も意味がある。
意味を理解、解釈が及ばない場合もある。
これらの文章は全くの馬鹿な落書きである。