7.21.2010

個々の集合体である国家

アメリカ人などはコメントを求められた時や会話の中でいかした言葉を発したりする。
自分の見解を真摯に述べたりする。 
文化的にもカッコイイことや面白いことを知りえている。

考えている人が多い分、自分であることを大切にしている分、積極的な意味において表現力が高い。

勿論、全ての外人がそうとは限らない。
日本人全員が意見を言わないわけでもない。
日本人と外人のダサい人同士の共感感覚で引き合う時もある。

本当に強く、賢く、美しくあろうとする姿は国籍を問わず人間として共感すると思う。

外国の本、音楽、映画、商品でも優れた価値感やセンスのあるものは広く支持される。

少なくとも、外人が日本人の生活に憧れを見ないのは日本人の閉塞的で窮屈な生活に拒絶しているからでありそれは普通の反応だと思う。

曖昧にしてきた哲学的思索や幸福の定義、国家感、日本の未来像、など考え抜き概念を構築する為に払うべき犠牲は日本人にとって多くある。

日本的成功から物質的繁栄を謳歌してその先に見出す価値観が無いままでの前進や感動、生活の充実はない。

今の若者のある意味強烈な幸福と不幸の混在した視界不良の日本において重責を強いられている。
無いものを、見えないものを考え見出すことはこれからもっと重要であると思う。

文化的な洗練と経済合理性のバランスある接点を見出し新しい取り組みをしていくには最初の外国人の自立性や個人主義的感性を練磨しなければならない。
未だ、旧来の日本的成功価値観の残響が多くを支配している。
本当に大切で価値あるものと切り捨てて次に前進する為の希望を立ち上げるには日本人の知的能力や視野の拡大が欠かせない。
もはや国政は政治家には任せれない。
経済的諸問題の解決は民間の取り組みの方が解決が早い。
政治家は実行する哲学者でなければならない。
価値観の多様化とは都合のいい、解釈の自由な言葉である。
最小不幸社会ならず最大幸福社会の実現を目指すべきであり国家は経済支援ぐらいしかできないだろう。

イノベ-ションを促進する環境下での躍動感ある社会を構築する。
今の現状は生気を無くした老人国家であり、財産を食いつぶし、未来を悲観した怠慢が充満している窮屈な国家である。

少子高齢化でもいい。
少なくとも重質な哲学をもち誇りある強気な日本がいずれ立ち上がることを信じて。