日本の経済成長は識字率の高く、礼儀礼節のある、忍耐力のある人的資源がベースメントにあった。
そして、今、敗戦後60年近く経過して、欧米にキャッチアップする近代化という国家目標が達成され飽食の時代となった。
しかし、日本に生きる人々に活力やダイナイズムは無く終わりなき感動はなき日常に集団心理に倦怠感、虚無感、空漠感が漂う。
そこに、サブプライム問題における世界同時不況による悲壮感や暗雲が立ち込めている。
日本はGDPが10%、否、今の倍になっても日本国民の最大多数の最大幸福感はやってこない。
敗戦後の日本型社会システムの成功体験による惰性的日常の進行が次なる変化の足枷となっている部分と高齢化社会が社会的保守化を促進している面があると思う。
しかし、機能不全を起こしている日本型政治、自民党一党独裁および自民党主体の連立政権、官僚作文による実務の丸投げの国家運営、など早急にぶち壊すべき犯罪制度や国民の無意識的犯罪加担型問題が山積みである。
貧しくとも躍動感やダイナミズムある国にして、希望ある国家出なければ、叩き潰したほうがましだ。
希望は現実の著金額の計算より、人間を元気にする。
生きた人間の国、希望のある社会作りは責任と自由と選択肢のある国家作りに根源がある。
無責任な政治家の死んだ言葉、機械的官僚の省益追及を隠す為の美辞麗句。
落ちの無い、笑えないジョークは終わりにしたい。
Is this a comedy?